医師の実験材料を殺害とは
神奈川県相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者ら45人を殺傷したとして、殺人罪などに問われた元職員植松聖被告(30)の判決公判が16日、横浜地裁で開かれ、青沼潔裁判長は求刑通り死刑を言い渡した。障害者に対する差別的な偏見が大量殺人の動機とされた過去に例を見ない事件。植松被告は最終意見陳述でも重度障害者への差別的な考えを主張した上で「どんな判決でも控訴しない」と自説を曲げなかった。(事件ジャーナリスト 戸田一法)
起訴内容を全面的に追認
判決によると、植松被告は16年7月26日未明、やまゆり園に入所する男女19人を刃物で刺すなどして殺害。ほか24人に重軽傷を負わせたほか、職員2人も負傷させた。
弁護側は「大麻の使用による精神障害が原因」と無罪を求めていたが、青沼裁判長は刑事責任能力を認め起訴内容を全面的に追認した。
公判で事件を振り返ってみたい。
初公判が開かれたのは1月8日。植松被告は黒いスーツで出廷し、起訴内容を問われ「(間違い)ありません」と全面的に認めた。
その後、証言台の前で「皆様に深くおわびします」と謝罪し突然、口元に手を運び、暴れ出した。警備担当の職員4人が制止し、青沼裁判長は休廷を宣言。再開時は被告人不在で審理が進められた。
植松被告の行動は右手の小指をかみ切ろうとしたためと判明し、閉廷後に記者会見したやまゆり園の入倉かおる園長は「事件の時と同様『何と浅はかな、愚かなヤツなのか』としか思えなかった」と憤った。
1月10日の第2回公判では自傷行為を防ぐため、手袋を着けて出廷させられた。そして、事件の状況が検察側から語られる。
職員の供述調書によると、夜勤の職員を拘束し、入所者に「喋(しゃべ)れるか」を聞き、殺害するかどうかを決めていた。
途中で植松被告の意図を察知した職員が「喋れる」と答えると、自分で判断するように。「こいつらは生きていてもしょうがない」「あいつは殺さないと」などとつぶやいていたという。
愛する家族を突然奪われた無念
死因は多くが首を刺されたもので、抵抗した際にできる防御創が手を貫通している犠牲者がいたことなど、強い殺意があった状況も明らかにされた。
1月15日の第3回公判は遺族の調書などが紹介された。「美帆さん」。青沼裁判長は被害者特定事項秘匿制度に基づき「甲A」としてきた犠牲者を、遺族の意向を踏まえ実名で審理することを明らかにした。
調書は神奈川県警や横浜地検が作成。「物事をまったく理解できなかったわけではない」「短い言葉なら話せた」と述べるなど、植松被告の「意思疎通ができない重度障害者を殺した」という主張と反する内容も含まれていた。
犠牲者の女性(当時60)の弟は「痛かっただろう、怖かっただろうと思うと、胸が張り裂けそうになる」「被告が悔い改め、厳罰に処されることを望む」とする供述が明らかにされた。
第4回公判が開かれた1月16日は、検察側が負傷した入所者24人全員の家族から聞き取った内容を朗読。「テレビに事件の映像が映ると布団をかぶって見ないようにする」など、トラウマになっている様子が紹介された。
この日までに犠牲者19人全員の遺族の供述調書が朗読された。「苦労はあったが、ちょっとした変化を見守るのは幸せだった」「生まれ変わってもまた私の子どもに生まれてほしい」――。愛する家族を突然奪われた無念を語った。
また「障害者差別に憤りを感じずにいられない」「殺されるような悪いことをしたのか?と問いたい」。憤りとやるせなさが交差していた心境が明かされた。
1月17日の第5回公判は植松被告の元交際女性が証人として出廷。14年当時は「散歩している入所者を見て『かわいい』と話していた」が、翌年には「あいつらは人間じゃない」と否定的な発言が多くなったと証言した。
そして事件を起こすことをほのめかされ「刑務所に入るよ」と指摘すると、植松被告は「世間が賛同して出てこられる」「俺は先駆者になる」と言い放ったという。
女性は植松被告について「重度の障害者とコミュニケーションをとるのが難しく、給料も安く、何のために働いているのか分からなくなったのではないか」と職場環境の問題についても語った。
従来の主張を曲げることはなかった
1月20日の第6回公判では、教員を目指していた植松被告が薬物を使い、障害者を差別する言動をするようになるなど「別人のよう」と戸惑う友人の声が紹介された。
事件の5カ月前、電話やLINEで「重度障害者はこの世に必要ない」「抹殺すべきだ」と賛同を求め、疎遠になる友人が多くなった。
植松被告の被告人質問が行われたのは1月24日の第8回公判。植松被告は「刑事責任能力を争うのは間違い。(自分に)責任能力はある」と弁護人の主張に異議を唱えた。
さらに「意思疎通できない人間は安楽死させるべきだ」と主張。弁護人が「重度障害者でも、家族は愛している」と指摘したが、植松被告は「国から金と時間を奪っている限り守るべきではない」と強弁した。
第10回公判は2月5日に開かれた。犠牲者の遺族が「なぜ殺さなければならなかったのですか」と問い、植松被告は「社会の役に立つと思ったから」と乾いた声で答えつつ、謝罪の言葉を口にした。
心境を「遺族の方と話すのは心苦しい」と述べつつ「できることで一番、有意義だった」と従来の主張を曲げることはなかった。
2月6日の第11回公判では、被害者参加制度に基づき、遺族や負傷者の家族、職員の代理人弁護士が質問した。
その中で、植松被告は犯行計画を両親に明かしていたことを告げ「悲しむ人がたくさんいる」といさめられていたことを明かした。
犠牲者の代理人弁護士は両親との関係について「愛されて育てられたと思うか」と問い、植松被告は「手をかけてもらい、不自由なく生活してきた」と回答。「あなたが殺されたら両親はどう思うか、考えたことはあるか」との質問には「ありません」と応じた。
美帆さんの代理人弁護士が「美帆さんの存在を喜ぶ家族がいた」と指摘すると、植松被告は「喜んではいけない」と、ここでも差別意識は変えなかった。
一切の後悔も反省もない様子
2月7日の第12回公判では、植松被告を精神鑑定した医師が出廷。大麻の使用による障害や中毒、人格障害であるパーソナリティ障害を認定した上で、「犯行に影響はなかったか、(あっても)小さかった」と証言した。
そして2月17日の論告求刑で、検察側は「19人もの命を奪い、単独犯として類を見ない。計画的で生命軽視は顕著だ。自らの正当性を主張し続け、更生の意欲も可能性もない」「死刑を回避すべき要素はなく、むしろ悪質性は際立っている」と指弾し、死刑を求刑した。
2月19日の最終弁論。弁護側は「精神障害による心神喪失状態で、被告人は無罪が言い渡されるべきだ」と主張した。
そして、植松被告は聞くに堪えない障害者差別発言を繰り返した上で「どんな判決でも控訴しない」と主張した。
植松被告は一切の後悔も反省もないように見える。そして、ネットでは支持する投稿がある。
それが、怖い。
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上記記はインターネット引用
2020何3月16日